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イタリア人記者と安倍総理の責任の話に思うこと

ついに緊急事態宣言が出された。

ツイッターではイタリア人記者の質問に対し、安倍総理は責任を負うということの明言を避けたことが話題になっている。

ちょっと思うことがあったのでここで述べようかと思う。

事実確認

問題の質問と回答は2020年4月7日の総理の記者会見で行われた。

イタリア人記者からの「世界各国はほとんどロックダウン(都市封鎖)しているが、これまでの日本政府の対策は一か八かの賭けのように見える。成功すれば良いが、失敗したらどう責任を取るのか」という質問に対しては、「イタリアのような海外の国と比べたら、日本国内の感染者や死者の数、増加のスピードが遅く、早い段階からクラスター対策をやっている」と述べたうえで、「最悪の事態になった場合、私たちが責任を取ればいいというものではない」と明言を避けた。

引用:ハザードラボ(https://sp.hazardlab.jp/know/topics/detail/3/3/33731.html

 

思うこと

おわりにをみてくれた方が早いかも。

 

イタリア人の質問の趣旨は「もっと強力な措置を行った方が良いだろう」というものだろう。

今回の日本政府の措置としては、法に基づいて行われるという面では変化があるが、強制力がいまだにない自粛要請という点に変わりはない。

確かにもっと強力な措置を行うべきだと私も感じる。

 

ただ「失敗したらどう責任を取るのか」という質問は、少しおかしく見える。

なぜなら、責任を取ったところで何か変わるのか、という疑問が残るからだ。

今の自民党では、首相が変わったところで党内の論調がそれだけで大きく変わることもないだろうし、総選挙を今行うことはできない。

 

では、より強制的措置を発動するのはどうか、という提案もある。

しかしこれも現実的ではないだろう。

たとえば首相は緊急事態条項の改憲議論を促しているが、野党は権力の集中を伴うとして反対している。

しかし、(強制力を伴う)ロックダウンレベルの措置を行う場合、それなりの権力の集中はともわないのか。

緊急事態条項並みの権力集中化は伴わないにしても、実際には私権を制限することのできるかなり強力な措置だ。

今回に限り野党が賛成したとしても、今回以外の場合に野党が反対するとすれば、法的根拠がぐちゃぐちゃになる。

 

こういう状態で責任論を展開していても事態はよくならない。

そもそも、最終的に彼の責任は選挙で国民が決定を下すことができる。(直接的にではないにせよ、少なくとも間接的には)

この状況の中、首相が変わることもないし、政権も変わることがないとすれば、責任論は現時点では全くの無意味だと思う。

 

というより、もし失敗するとなればそもそも首相が責任を取らないはずがない。

自ら退陣しないにしても、やはりそれなりの評価が国民や政治家から下されることになる。

なのでやはり責任論は無意味だと思う。

 

というよりは、現在議論すべきは金だよ。

 

おわりに

なんか自分の中でも考えがはっきりしていないところがあります。

ただ責任をとることを明言しなかった首相に対して「こいつやりおった」みたいな論調は、なんというか無価値に思えたので書いてみました。

考えをざっくりまとめると、「責任を取らなければならないという状況は必要な時に必然と起こるものであって、議論するような価値のあるものでもない」という感じです。

責任を取らなければいいという意味ではありません。

「責任を取る」といったとしてもそこには意味がないといっています。

そもそもどうやって取ればいいですか、という話です。

もちろん「責任をとる」と明言しなかったのもちょっと違和感はありますが、「いったところで。。。」と思っています。