世界には命知らずの人間がたくさんいます。カレル・スーチェクもその一人で、ナイアガラの滝を落ちて生き延びた経験のある人物です。
そんな彼は、スタントで命を落としてしまいました。彼の人生を紹介します。
カレル・スーチェク
カレル・スーチェクは1947年生まれのカナダ在住、チェコ出身のプロスタントマンです。
1984年にナイアガラの滝を樽で落下し、生き延びたという経歴があります。
そんな彼は、1985年の新たなスタントの失敗で命を落としてしまいました。
1984年:ナイアガラの滝のスタント
スーチェックはナイアガラの滝を落下するというスタントに挑戦しようとしました。その方法は、大きな樽の中に入り、樽ごと落下するというものでした。
スーチェクは、過去の挑戦などから学んだり、無人の樽を滝から落として衝撃吸収のテストをしたり、入念な準備を行いました。
彼の使った樽は、長さ約3メートル、直径約1.5メートルのものでした。 樽は真っ赤に塗られており、「最後のナイアガラの命知らず - 1984」「失敗したか成功したかではなく、あなたがあなたの約束を守ること…少なくとも試してみよう!」と言った言葉が書かれていました。
そして1984年7月2日、スーチェクは樽とともにナイアガラの滝から落下しました。スーチェクは出血をしていたものの、無事生還したのでした。
ナイアガラの滝の挑戦には多額の費用を費やしましたが、インタビューなどですぐにすべての費用を取り戻しました。
この成功を機に、彼は次のスタントに挑戦しようとします。
ヒューストン・アストロドームの挑戦
ヒューストン・アストロドームは、野球のドーム球場です。ここがスーチェクの次なるスタントの舞台でした。
その内容とは、ドームの頂上から下のプールに落下し、生き延びることでした。これはナイアガラの滝の挑戦を再現しようというものでした。
1985年1月19日、38,000もの観客が見守る中、アストロドームの床から約55メートルの高さでスーチェクが樽とともに落とされました。樽は落下と同時に回転を始め、プールの中央には向かわず、プールの縁に衝突してしまいました。
スーチェクは重傷を負い、樽から出された時には息がありましたが、アストロドームのスタントショーがまだ行われている間に死亡してしまいました。わずか37歳でした。
スタントショーが始まる前、樽を無人で落下させるテストを2回行ったといいます。うち一回は予定通り着水しましたが、もう一回は床に衝突してしまったそうです。
それでもスーチェクは諦めませんでした。ショーが始まってしまい、もっとテストを行うことができなかったのが、彼の死につながってしまったのかもしれません。
スーチェクはナイアガラの滝近くの墓地に埋葬されています。
まとめ
スーチェクは大きなスタントに挑戦し、死亡してしまいました。
テストする時間に余裕があれば、プールがもう少し大きければ、誰かが止めていれば。どれか一つでも叶っていたらスーチェクは助かっていたかもしれません。
彼の墓石には「失敗したか成功したかではなく、あなたがあなたの約束を守ること…少なくとも試してみよう!」と刻まれています。