オーストラリアの風景
現在私が1年で最も長い期間滞在しているオーストラリア。つまり留学をしている国です。
実際に自分が日本で高校生をしているとき、その高校の修学旅行の行き先はオーストラリアのシドニーでした。シドニーで一週間ほど滞在、そのうちの3日だか4日だかは忘れてしまいましたが、郊外の家でファームステイをしました。そのファームには5人ほどのグループで行き、5人でたくさん遊びました。ビリヤードをしたりバドミントンをしたり、またラグビー部の友達にタックルをしたり。ラグビー部の友達は体重がありすぎてファームにあったブランコの紐をちぎってしまったのをよく覚えています。それと、ファームには猫やヤギ、鶏など様々な動物も飼われていました。暗くなると庭には、野生のウォンバットやカンガルーが出たりもしました。野生の動物を探しに山道を車で走り回ったりもしました。トラック付きの乗用車(ピックアップトラック?)の荷台に乗ったのを今でも鮮明に覚えています。野生の動物を探している道中、家からけっこう遠い山道を走っているときに、1人の友達のお腹を下してしまったらしく、彼は脇道にそそくさと入っていきヤンキー座りをしていました。まあお察しの通りで葉っぱで拭いたらしいです。そのほかにも色々あって、とにかく楽しい修学旅行でした。この体験は自分の海外への欲望を一気に高めたと言ってもいいでしょう。
ここからはあまりよろしくない思い出です。オーストラリアという語を縮めたラリアという言葉を聞いたのは、まさに修学旅行から帰ってきて数日後。まだオーストラリアに行った時の楽しさ、高揚から抜け出せずに、夢心地な気分に浸っていた時だった。帰国後すぐに部活が始まるといった最悪な状態で、同じ部活の部員が発した言葉が「ラリア」でした。略語というのはなんかその元の言葉を侮辱しているような感じがして嫌いでした。成長意欲とか尊敬の念とかがないような人がその言葉が発したもんだからその言葉はより一層大っ嫌いになりました。まさに最悪のダブルパンチ。超最悪な気分でした。
しかし言葉とは面白いもんで、好きであろうがなかろうがその言葉は人から人へと伝わっていってしまうものです。自分もその言葉にまんまと洗脳されてしまいました。その結果他の人に対してうっかり「ラリア」を使ってしまうようなことも増え、オーストラリアの思い出は負の連鎖の元となるのでした。
でも結局は、修学旅行の楽しさが勝り、留学することとなったのですが、両極端な思い出が自分を襲うのでなんだか複雑な気持ちになりますね。