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多文化主義のいいところってなんだろう。

多文化主義のいいところってなんだろう。
もともと国ってどうやってできたんだっけ。もちろん地理的状況の要因も大きいとは思うが、宗教の違いや文化の違いによるところも大きかったりするのではないか。政治もそうだけどそれはさておき。


やはり文化が違えばお互いやりづらい。例えばイスラム文化圏の人は肉を食べないとする。日本人が彼と食事をするとする。日本人は肉を食べる。イスラム文化圏のその方が、「私は肉を食べないがあなたは肉を食べる、それでいいんだ。」そんな理解をしてくれればこれには全く問題はない。
しかしいつもそういくわけではない。やはり人間は全員が良き理解者ではないので、そのような行動に憤慨する可能性もあるだろう。
そのようなリスクの元で肉を食べにくくなったらどうだろう。肉を注文しづらくなる。肉を食べたいときにその人と食事に行かないだろう。
でもこんなことを常に考えていると煩わしい。いっそ違う場所で暮らそう。そんな考えでできる国もある。
現在行われている独立運動。例えばスコットランドカタルーニャがそう。もちろん政府に不満があるのだろう。しかし、彼らが選ぶ道は「民族」としての独立。不満と民族意識が相まって独立運動を支えているのではないかと勝手ながら思う。
多文化主義はいわばその逆をいってるのだろう。他の文化に刺激をもらうのはいいこと。他の文化に良いところがあれば取り入れてもいいと思う。しかし多文化主義はネガティヴな側面も同時にやってくる。
身近な例を挙げよう。お上品な食事会を毎日開いている主婦たちがいる。そのなかに庶民的な料理を持ってくる人たちがやってきた。その中にクチャラーがいたとしたら。美味しい家庭的な味を知ることはポジティブかもしれないが、クチャラーを連れてくるのは上品さに欠けるのでネガティヴなことだろう。もちろんクチャラーにその食べ方を「やめて」といえば解決できるかもしれない。しかしこれが「文化」となればなかなか難しいだろう。
文化というものは根強い。例えば中国人は友達の食べ物をシェアするのが普通らしいが、日本人の私の食べ物を勝手に食べられるとやはり私もひいてしまう。もちろん私も「やめて」というと同時に相当な嫌悪感を示した。だがその友達は私がなぜ嫌がっているのか理解してくれなかった。ある種文化というのは生活の基礎であり変えることが難しい場合もある。
人間は良き理解者なのか。少なくとも昔はこうした文化間の違いが理由で国を分けるということはあったのだと思う。しかし、それは昔の人が「違い」に「理解」を示さなかったからであろうか。今ほどまでに他文化に対する理解はなかったとしても、多少はあっただろう。それでも隔たりがあった。それは理解をして無理に暮らすよりは、同じ価値観を持った人で集まった方が圧倒的に楽だし効率が良かったからではないのか。
今言われている多文化主義というのは、良く言えば新しい刺激、悪く言えば他人に理解を強いることなのである。