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大自然への冒険をし餓死してしまったマッキャンドレスの旅とは

アラスカの自然

 

周りに誰もいない、大自然の中で暮らしてみたいと思ったことはありませんか?

この記事では、そのような大自然での自由な暮らしに憧れてアラスカに旅をしに行き、そのまま戻ることなく亡くなってしまった男をご紹介します。

本記事は主に英語版Wikipediaを要約して紹介しています。

主人公「クリストファー・ジョンソン・マッキャンドレス」

クリストファー・ジョンソン・マッキャンドレス(1968年2月12日生、1992年8月没)は、アメリカの冒険家です。「アレキサンダー・スパートランプ」というペンネームでも知られています。

彼は大自然の中での生活を求めてアラスカに行き、亡くなってしまいました。彼の旅は、のちに映画化されたジョン・クラカウアーの書籍『イントゥ・ザ・ワイルド』の題材にもなっています。

 

アラスカに行くまで

マッキャンドレスは1990年に大学を卒業後、必要であればバイトをしながら放浪をしていました。

アラスカに行くまでもアメリカ国内やメキシコへの旅をしていました。無免許でアメリカ国内を逃げ回ったり、メキシコで逮捕されたりと、かなり自由な旅だったようです。

1991年、アメリカで資金が尽きたとき、1年弱仕事をしていました。このとき、彼はこんな手紙を上司に残して去っています。

Tramping is too easy with all this money. My days were more exciting when I was penniless and had to forage around for my next meal ... I've decided that I'm going to live this life for some time to come.

この金を持っていると、旅はあまりにも簡単です。私が貧乏だった頃は、次の食事を探し回らなければならなかったので、より刺激的な日々でした...私はこの生活をする決めました。

やはり彼にとっては、自由で厳しくとも、大自然の中で生きることに理想を抱いていたのでしょう。

 

アラスカへの旅

1992年4月、マッキャンドレスはサウスダコタからアラスカのフェアバンクスまで約5000kmの距離をヒッチハイクで移動しました。

マッキャンドレスは「大きなバックパック」を背負って旅をしていました。人に対して疑い深く、身分を聞かれると偽名を名乗ることがあったと言われています。長旅のせいか、不衛生で臭いもしたと記述されています。

 

マッキャンドレスは、4月28日にStampede Trailという道の先頭で、地元の電気技師ジム・ギャリアンによって、生きているところを目撃されたのが最後となりました。

ギャリアンは、フェアバンクスからヒーリーという小さな町のすぐそばの険しいコースのスタート地点までマッキャンドレスを乗せてきたのですが、彼の軽い荷物、最小限の装備、わずかな食料、そして明らかに経験のなさに気づき、彼の安全を真剣に心配したと後に語っています。

ギャリアンは、マッキャンドレスに旅を延期するよう何度も説得し、迂回して適切な装備と物資を買い与えると申し出ました。しかし、マッキャンドレスはギャリアンの執拗な警告を無視し、軽食をもらう以外は援助の申し出を断りました。ギャリアンはマッキャンドレスが数日以内に空腹に耐えかねて戻ると信じて降車させました。

 

雪に覆われたStampede Trailを歩いた後、マッキャンドレスはデナリ国立公園近くのトレイルの茂った部分に沿って、ヒーリーから西に約45kmで、乗り捨てられたバスを見つけました。のちに彼の本を書いたクラッカウアーによると、マッキャンドレスは、「ベーリング海(アラスカとロシアの間の海)にぶつかるまで西に向かう」ことを続けようとしました。しかし、彼はアラスカの深い茂みに阻まれ、バスに戻り、そこでキャンプを張り、その土地で生活したのです。

彼の所持品は、4.5キロの米、銃と弾400発、地元の植物に関する本を含む多くの書籍、いくつかの私物、キャンプ用品数点などです。自画像の写真と日記の記述から、彼は食用植物を採集し、ヤマアラシ、リス、プタミガンやカナダガンなどの鳥類を狩猟していたことが分かります。1992年6月9日、マッキャンドレスは違法にヘラジカを撃ちました。しかし、その肉は保存に失敗し、数日で腐敗してしまいました。

 

マッキャンドレスの日記には、113日間の滞在が記録されています。

7月、2ヶ月余りのバス生活の後、彼は文明に戻ることを決めました。しかし、道は氷河からの流出水で増水した川によって塞がれてしまっていました。マッキャンドレスはこの地域の詳細な地形図を持っておらず、川を渡ることのできる手動のケーブルカーの存在も知りませんでした。この時点で、マッキャンドレスはバスに戻り、キャンプ地を再確立しました。彼は、バスにSOSのメモを貼りました。

Attention Possible Visitors. S.O.S. I need your help. I am injured, near death, and too weak to hike out. I am all alone, this is no joke. In the name of God, please remain to save me. I am out collecting berries close by and shall return this evening. Thank you, Chris McCandless. August ?

訪問者へ注意:S.O.S. 私はあなたの助けを必要としています。私は怪我をしていて、死にそうで、ハイキングに行くには弱すぎます。私はたった一人で、これは冗談ではありません。神の名において、私を救うために残ってください。私は近くのベリーを集めに出かけ、今日の夕方に戻ってくる予定です。ありがとう、クリス・マッキャンドレス。8月?

おそらく最後の「?」は日付がわからなかったのでしょう。

 

マッキャンドレスの死

死亡した正確な日付はわかりませんが、マッキャンドレスの最後の日記は「107日目」と記されていて、「BEAUTIFUL BLUE BERRIES」とだけ書かれていました。108日から112日目は言葉がなく、スラッシュのみで記され、113日目は何も書かれていませんでした。死の間際、マッキャンドレスは書き置きのメモを持ちながら手を振っている写真を撮っており、そこにはこう書かれていた。

I HAVE HAD A HAPPY LIFE AND THANK THE LORD. GOODBYE AND MAY GOD BLESS ALL!

私は幸せな人生を送りました、そして主に感謝します。さようなら、そして神が皆を祝福してくれますように!

 

1992年9月6日、一晩の避難場所を探していたハンターの一団が、マッキャンドレスが泊まっていた改造バスを見つけました。中に入ると、食べ物が腐ったような臭いがし、バスの後部座席の寝袋の中に「塊」があるのを発見した。こでがマッキャンドレスの遺体でした。

マッキャンドレスは遺体が発見される約2週間前に餓死したとする説がありますが、正確な死因はわかっていません。

 

その後マッキャンドレスが生活の拠点にしていたバスには、巡礼に訪れる人が多かったのですが、自殺者も来てしまうため、撤去されてしまいました。このバスは現在アラスカ大学によって展示されています。

 

まとめ

大自然を求めた冒険家マッキャンドレスをご紹介しました。

何を考えてこのような旅をしようと思ったのか、力つきる前に脱出する手立てもなくどのような心境だったのか、考えることがたくさんある人生でした。

彼の冒険は映画にもなっているのでぜひご覧ください。

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